彼らが作り出せる美しい世界と、私が持っていた偏見への反省

彼らを好きになりそうな時期、このままハマっていくかもしれないという流れの中で最も恐れていたのは「思想の違い」だった。私と正反対の思想を持っていて、それを主張し続けるアイドルだったらどうしよう。政治に深く関わっているとしたらなんだかすごく怖い。そんなイメージがあった。グループ名とともに流れてくる良くない噂、事実でもあるけど、それを悪い方に捉えていた。きっとそうに違いないと勝手に決めつけて、自分から見えないところに置いておこうと遠ざけた。

ある日YouTubeでDynamiteのダンスプラクティス動画を見たとき、衝撃が走った。そこから数日取り憑かれたようにプラクティス動画→MV→ライブ映像と繰り返し見るようになり、パフォーマンスが魅力的だから、そこだけ好きになろうと思っていた。そうこうしているうちにVLIVEをインストールし、タルバンに狂い、初めてのカムバを迎えアルバムを購入し、年末の授賞式ラッシュ、写真集をポチッとして今に至る。

過去の動画をすべて振り返ることはできないにしても、タルバンやその他日々更新されていく動画を見ていてある疑問が浮かぶ。
「果たして、この人たちには本当に誰かを敵だとみなす思想はあるんだろうか?こんなに愛に溢れたグループは、正反対の感情で誰かを傷つけることをするだろうか?」
いつか彼らに傷つけられる日が来るかもしれないと怯えながら沼の入り口に立った数ヶ月前の自分を思い出した。「もしかして、そんなことないかもしれない」と、盲目的で縋るような希望ではなく、単純に、そうなんじゃない?と自分に問いかけた。


一部では彼らとセットで「ハンニチ」と印象付けられている。知ってしまうのが怖かった数ヶ月前と比べて、今は穏やかで至って冷静な気持ちで、「グループ名+ハンニチ」で検索できた。そしてこの記事にたどり着いた。

ネットを分断した「BTSの原爆・ナチ問題」とは一体なんだったのか(石田 健) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

「本当にそうなのか?」そんな一つの視点からしか考えられなかった自分が愚かだと思った。前提として彼らとは育った環境も受けてきた教育も違う。そして私はその国にある歴史を知らなかった。自分の国の歴史も中途半端にしか知らないのに、隣の国のことはもっと分からない。そんな事実から目を背けて、メディアで報じられる偏った情報だけで判断してしまっていた自分がいたことに気付いた。よく考えてみれば、私はどの国の歴史も知ろうとしてこなかった。「政治」の話題に「怖い」という感情を抱くのは、よく知らないからだ。未知のものは怖い。怖いから知りたくない。そうしている限り、自分が知りたいものだけの心地いい空間に閉じ込められてしまう。そこはどこよりも快適で、どこよりもつまらない。
知ることは自分の世界を豊かにする。可能性をつかむことなのだ。知らなかった時間の方が長かったとしても、知らずに死ぬのと知って死ぬのとでは世界は違って見えるだろう。

そう、とにかく、私は彼らに対して誤解をしていた。その誤解は「私が知らなかった、知ろうとしなかった」ことが原因だったことが明らかになったのだ。

そして、彼らの思想のすべてを理解することはできないし、理解できるときがきても受け入れるか否か、その判断は自分でできる。何よりも、やはり彼らは人を傷つけたり憎んだりするよりも愛することに多くの時間を費やしていること。「見れば分かる」そんな当たり前のことを、見もせずに決めつける自分がいた。でも今はそうではない。「見れば分かる」「知れば変わる」
指先で一つタップするかどうかぐらいの動作で、自分の中の偏見を正すことができると彼らから学んだ。



彼らから学んだことはそれだけではない。常に最新に合わせて更新される価値観だ。特に最近敏感に反応されるジェンダー観の話題においては、「こんな発信ができるアイドルグループって存在するんだ」と驚かされる。「そうだったらいいよね、そんな世界になったらいいよね」と当事者だけが願う世界から、それが当たり前の世界になる、そうさせるという強い影響力がある。発言を求められたときの強く、かつ誰にでも分かる言葉だけではない。これを言うとそういう思いをする人がいるかもしれない、こんな反応は正しいのか?を常に意識的に(もしくは無意識下で)検討している。そして実行し続けている。その小さな小さな、見過ごしてしまってもおかしくない些細な配慮が積み重なって、彼らは美しい世界を当たり前にする。

私たちが想像し得ないような、常識とされている世界すら変える力がある。例えば男女で結婚するのが当たり前とか、黒人が並んで歩いているとなんだか怖いとか、差別的でなく純粋にそういう言葉や態度が出てしまうような価値観の中で生きてきた人にも「あれ、もしかしたらこれってこういう風に考えられるんだ」と思わせる言葉を与えられる。「差別のない世界を」というありきたりな言葉でそう願うだけでなく、「差別がない世界を作る」その創造の最中なのだ。
差別のない世界を作る、それは誰もが尊重されるべき存在であることである。そんな綺麗事言ってもね、だとか言っている段階ではなく、メンバー間でそれはすでに行われている。人を大事に思う、守るべきものを守る、言葉や行動で示されるそれらは、他の何でもない愛である。愛するとは大事に思うことだという単純な公式を忘れてはいけない。彼らを見るたびに思い出す事ができる。

彼らを知ってから、私はあまりに無知な自分を恥じ、配慮の積み重ねが愛を形作ることを学んだ。そして、自分自身の価値観のアップデートが可能であることも知った。
過去や歴史は変わらない。解釈で捻じ曲げることもできない。事実として残っているから。だからこそ知る必要がある。知れば、今の自分を変えることができる。そして、「そんな簡単に変わるはずない」と思いこんでいた価値観だって、「今から」なら変えられる。変えることで愛を一つ増やすことができる。そんな可能性があると、実在するアイドルから教えてもらった。